「「グローバルダイニング訴訟のニュースを見てきました。先生ならやってくれるんじゃないかと思って」
私の事務所でそう切り出したのは現役の高校生(当時17歳)だった。」
朝日新聞 #論座 に寄稿しました!
18歳の現役高校生を原告に児童福祉法と精神保健福祉法の違憲性を問うた訴訟を題材に、この国の「収容大国」っぷりを、すなわち、「臭いものに蓋」をしてみて見ぬフリをし続ける社会をもう一回見直してみませんか、と自問自答も含めて書いてみました。
同性婚の法制化で「社会が変わってしまう」「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」と発言した永田町の中枢ですが、実はこの価値感とも同根の偏見と制度のお話です。
~以下引用~
「実は、この政府高官たちの感覚こそが―それは永田町の多数派の感覚に他ならないのだが―、本稿で明らかにしたい「見えない敵」そのものである。この同性愛者の部分は、障害者、生活保護者、認知症患者、引きこもり、手に負えない子どもたち等々、医療保護入院の対象となって不当な権利侵害に晒されている人々に置き換え可能であろう。そして、おそらく多数派は「隣に住んでいたら嫌だ」と感じるのではないか。
こうした多数派が「見たくないもの」(≒社会的少数者/弱者)に蓋をする道具として、医療保護入院が濫用されている。上記の日精協の奉ずる価値とあわせ考えれば、政治的多数者は、本稿で取り上げた人々に等しく人権を認めれば、「社会が変わってしまう」と答えるのではないかとさえ思えてくる。もっと言えば、実は我々一人一人も、知らないうちにその蓋の上に腰かけていないか、あらため自問自答する必要があることに本訴訟を通じて私もまた、気づかされている。」